何も遮るもののない空を仰ぎ見ると
海や緑、地平線がまあるく見えて
まるでスノードームの中に居るようだ
美しい世界が自分中心に広がっている
楽しいこともハプニングも
笑いあえる仲間がいる幸せ
素晴らしい時間をありがとう!!!
写真は素敵な体験を提供してくれたアウトドアガイド平野 睦 (Atushi Hirano)さん撮影です
何も遮るもののない空を仰ぎ見ると
海や緑、地平線がまあるく見えて
まるでスノードームの中に居るようだ
美しい世界が自分中心に広がっている
楽しいこともハプニングも
笑いあえる仲間がいる幸せ
素晴らしい時間をありがとう!!!
写真は素敵な体験を提供してくれたアウトドアガイド平野 睦 (Atushi Hirano)さん撮影です
肩の力が抜けたのか、蕁麻疹もようやく治まった。
今回の個展、意気込みを感じたとおっしゃる方もいらしたが、きっと気迫に満ちていたのだろう。
セルフプロデュースだったため、純粋にいい絵を描くことと、個展を企画運営する両方の視点をもつことは楽しくもあり、厳しくもあった。
学歴も受賞歴も経験もない40歳過ぎの私が、誰かに見出されオーガナイズしてもらうのを待っている場合ではない。
ここで一発勝負をかけるか!銀座へいざ出陣!!!という気持ちだったのだ(笑)
神様に見放されていると思っていた少女時代、大切な人の死...何も言い訳にならない。
過去の出来事に関係なく、この瞬間において、どう生きるかは自分で選べる。
どんなに不安で怖くても、挑戦出来ること自体が、すでに幸運で恵まれているのだ。
時代は変わり、様々なやり方で自分のやりたいことを実現出来ることを私は私自身に証明したかった。
それって先祖からの悲願じゃない?とも言われた。
祖父と父、父の兄は着物の反物に一点一点手描きで絵を施す職人だった。
時代の流れと共に廃業し、職人上がりの父は何度も転職をして、学歴社会の中で苦労も多かっただろう。
私が生まれる前の話だが、それこそ華やかな時代には、日本橋のデパートなどに反物を卸していたようだ。
私が個展の場所に銀座を選び、描く作品はスカーフや手拭いなどにして欲しいと言われるのも妙に納得がいく。
絵を十数年ぶりに描きだした当初は、個展をしようとなどと思っていなかった。
大きな喪失の中、闇から光を探すように心模様を絵や詩、文章にしてFacebookに投稿し始めた。
闇から光を見出す作業はいつしか、喜びも悲しみも光の一側面なのではないか。
どんなことも人生の味わいひとつ、豊かなことだと思うようになっていった。
光~いのちのプリズム~という個展のタイトルにはそんな思いが詰まっている。いのちへの讃歌だ。
欲張りに貪欲に、多くの人に自分の表現を見てもらいたい、好きなことを仕事にしたいと思うようになっていった。
私がお金について真剣に考えていることを不思議がる人もいる。
自分の力には限界がある。人の手を借りなければ出来ないことが沢山ある。
協力し合うことによって、より素晴らしいことが起こる瞬間を体験したい。
その為にもお金は必要だし、自分や関わる人が消耗するようなやり方は絶対にしたくない。
経験も実績もないくせに、志だけは高い。ついで言うと、格好が付かないことはしたくない江戸っ子だ。
個展期間中は運営側の自分が強く出ていたのだろう。
オープニングライブでは、段取りやみんなが喜んでくれるかが気になり、絵をお求め頂いた際にも、ホッとした気持ちの方が大きかった。
すべての願いが叶っても、浮足立たない様に、自分を見失わない様にと妙に気を張っていた。
けっこうな野心家だよと言っても信用してもらえない。本人の自覚なしに、みんなに天然だと言われる私である。
そうとう無理をして頑張ったのだと、緊張がとけて喜びをじわじわと感じられるようになった。
次の予定は何も決まっていない。
幸運にも、昨日からご注文頂いた絵を描いている。次に描きたい絵もある。
今回の個展は、大いなる存在、目には見えない応援が沢山あったことだろう。
私はもう、自分を憐れんだり、粗末にすることはしない。
まっしろな紙を前に、目に見えるもの見えないもの、すべての出来事に感謝する。
個展を無事に終えることが出来て、心底ほっとして今日は昼までゆっくり寝た。
ここ数日は、お求め頂いた作品の発送準備や、事務的な作業をしている。
個展の開催を決めた際に、多くの方から「成功をお祈りしています。」「成功だけをイメージしてね。」と言ってもらった。
私の中で、「成功とは何だろう。」と心の中に静かな問いが生まれた。
経済社会で生きる上で、絵が売れることが分かりやすく成功だろう。
事実、今回の個展で作品をお求め頂いた時は、スキップするほど小躍りするほど嬉しかった。
憧れの銀座で個展を決めたものの、誰も来てくれなかったらどうしよう。一枚も絵が売れなかったらどうしよう...
江戸っ子で見栄っ張りな私としては、それが一番の恐怖だった。
生きていて、救われたと思う瞬間がある。
絵や詩、文章が誰かにのもとへ届き、心を震わせ、その反応が返って来た時だ。
今回の個展でも、Facebookの普段の投稿でも、それぞれの心のうちに起こったことをコメントやメールで伝えて下さる。
わけもなく涙がこぼれた。封じていたものを呼び起された。表現してくれてありがとうと言ってもらう。
表現するものにとって、こんなに嬉しいことはない。
個展の期間中、絵を通してエネルギーの交換、循環をしているのだと気づいた。
お求め頂いた方の家で新たなエネルギーの展開をすることもあれば、会場、あるいはWEB上で見た方に届き、心や言葉の交流として展開する。
目に見えるもの、見えないもの。エネルギーの循環。
オープニングライブでは、音楽や、いらした方のエネルギーが合わさって、その力は空間や場を変えるほどであることをアートの持つ可能性を教えてもらった。
自分のうちに湧き上がることを表現して、心を響かせ合う。
側にいる人と心を通わせ、笑顔になったり、涙したり。時には違和感や怒りとして影響し合う。
生きることそのものがアートで、人は誰しも否が応でも表現者だ。
今回の個展を通じて、共鳴出来る方々に出逢えたことは大きな財産だ!
大成功で個展を終えられたということだろう。
しかし、自分の営業能力の無さには心底呆れた。
友人に対しては、購入したい気持ちを止めてしまった感すらある。
なぜだ?なぜなんだ???
私の謎の態度をよそに、絵をお求め下さった方、オーダーのご依頼がなかったら、どうなっていたのか…
思い切って購入して下さった方のお陰で、表現者としての自覚、更なる挑戦への勇気をもらう。
遅刻しそうになりながら、ノーメイクで銀座に通い、くたびれた日にはジーンズにスニーカーという姿に作家と気づいてもらえないなどなど、相変わらずのマイペースっぷりを笑われた。
大事な反省点として、タイトルの下に鉛筆で書いた価格が見えづらかったらしい。
何人もの方から、販売はしないのと聞かれ、4日目の朝にマジックで書き直した。
気になった絵があった皆さま、個展が終わっても絶賛販売中ですよ〜(笑)
お気軽にお問い合わせ下さい!
日々心を震わせながら、良い作品を生み出していこうと思います。
すごい長文になってしまった。最後まで読んでくれて本当にありがとう!!!
銀座での個展 光~いのちのプリズム~無事終了しました!!!
思い切って挑戦して、良かったです!
応援して下さった皆様、本当にありがとうございます。
絵を通じて沢山の方との心の交流、新しい出逢いに恵まれました。
小さな作品から大作まで、数点の絵がお客様の元へ渡ることが決まり、予想もしていなかったオーダーの受注も頂きました。
オープニングライブでは絵とKURIの音楽のコラボによって、心の内に様々な風が起きたようです。
「生きているっていいな。」「いのちって表現したがっているんだな。」笑顔や涙を浮かべながら、Facebookの投稿やメールでも色々な感想を頂きました。
初めてお会いした方、遠くからエールを送って下さった方、距離やお会いした回数に関係なく、多くの方々が心を寄せて下さり、感謝の気持ちでいっぱいです。
この個展に合わせて、奈良や高知、静岡などの遠方から、いらして下さったこと。
お忙しい方々が時間を作って足を運んで下さったこと。
決して安くはない絵をお求め頂けたこと。
個展が終わりに近づくにつれ、そのようにして頂ける私という存在、自分の役割とは何なのかという大きな課題が胸に重く迫って来ました。
個展期間中、緊張と興奮で眠れぬ夜を過ごしました。
数週間前から、顔以外に現れては消える痛痒い蕁麻疹に襲われ、この個展は私にとって、相当なプレッシャーだったのだと思います。
多くの出逢いと気づきを与えてくれた今回の個展。
思い切って挑戦して、本当に良かったです。
まずは感謝と喜びとともに、ゆっくり眠ろうと思います。
心を寄せて下さった皆様、本当にありがとうございました!!!
KURI 田村麻美個展オープニングライブ@銀座ギャルリーラー 2018.09.17
たくさんの方がご来場して下さり、素晴らしい時間をご一緒させて頂きました。本当にありがとうござます。
尊敬するミュージシャンKURI かっちゃん、みほちゃんがオープニングを飾ってくれました。
蓮の花の絵に合わせた曲、光と闇というテーマでの即興演奏、ギャラリーの入っている奥野ビル(昭和8年建築という歴史あるビル)に合わせた曲など、この日に合わせたKURIスペシャルライブ🎶
休憩中や演奏後に、音楽によって蓮の花が揺れて見えた、開いていくように感じたなど、沢山の方が絵と音楽の感想をおっしゃって下さり、本当に幸せな経験をさせて頂きました。
たくさんのご縁を頂き、本当にありがとうございます。
個展は11時〜19時まで、金土は20時、最終日の23日(日)は17時までとなります。
東京メトロ有楽町線、銀座一丁目駅すぐ、JR有楽町駅からも5分くらいですので、是非原画を見にいらして下さい!
素晴らしいライブをして下さったKURIのお二人は24日(月・祝)は新橋 Atom CS Tower にてKURIライブ& アートショー開催です。
11月中旬から 12月中旬にかけてロンドン〜パリ、、、フランス地方 などでも10数箇所の公演、ワークショップと大活躍!!!
東京では多分、今年最後のKURIライブとなるようなので、是非チェックして下さいね!
KURIのホームページ
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私が美しい曲線に魅かれる理由のひとつに、幼少の頃の体験があることに気づいた。
4歳の頃から小学校中学年まで、近所のお絵かき教室に通っていた。
まだ幼い頃、母が迎えに来るまでの時間などに、先生が画用紙にすっと線を描いて渡してくれる。
いくつもの曲線で区切られたそれを一生懸命にクレヨンで塗った記憶がある。
今でも不思議と曲線で画面を構成して、色分けする絵が多いのも、その体験の影響かもしれない。
中学生や高校生も美術学校に行く為に通っていたのだろう、教室には石膏像などがいっぱいあって、薄暗い教室にひとりでいる時は怖かった。
週一回、台に飾られた様々な静物を水彩絵の具で描いていた。たいてい先生は自宅スペースに居て、完成すると見せに行く。
薄暗い教室から、さらに暗い廊下を怖々と進み、扉をあけると急に視界が開け、緑豊かな庭に面した部屋は明るく、極彩色のオウムが居たのを覚えている。
思い返せば、曲線を多用した門や外壁はガウディの建築の様で、近所では異彩を放っていた。
私は幼い頃の記憶が少なく、小学校低学年の学校の先生の顔や名前も覚えていない。
美しいオウム、面白い外壁、先生が手品や紙芝居をしてくれたクリスマス会、暗くて怖い廊下...お絵かき教室の記憶もおぼろげだ。
けれど潜在意識には、美しいものや教えてもらったことが、たっぷりと蓄積されているに違いない。
〈 蓮の花 制作過程 2018.09.10 〉
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今回の作品は、パステル以外で描こうと思っていたものの、手元には12色の水彩絵具と、アクリル絵具しかなかった。
色数の少なさや、アクリル絵具は質感が作品に合わなそうだと、他に使えそうな画材を探してみる。
実家から貰ってきた父の机から、22色の水彩絵具が出て来たので、それを使うことにした。
父が亡くなる少し前、「なぜ絵を描かなくなったの?描けばいいのに、勿体ない。」と言われた。
私は驚き、少しムカついた。
もちろん死に向かって、どんどん弱り痩せていく父に文句は言えなかった。
高校三年生の時に、アルバイトをしながら自分で予備校に通った。
どんなに美大進学を懇願しても聞き入れず、奨学金を貰うことすら許さなかった父である。
何かにつけ、気に入らないと出ていけと怒鳴り散らし、幼い頃は顔色をいつも伺い、大人になってからは距離を置いていた。
着物の模様師をしていたが、私が二歳のころに廃業し、いったい何回転職しただろう。
着物関連の仕事は時代と共に少なくなり、肉体労働で身体を壊したりと、時代に恵まれない人でもあった。
私は大学進学を諦め、公務員になった。お金を貯めてから、大学に行くつもりだったが、仕事で疲弊し、そんな思いはすぐに消えた。
そしていつしか、全く絵を描かなくなった。
それが二年前に、十数年ぶりに突然絵を描きだし、今は個展に向けて準備をしている。
まったく思っていなかったことで、自分自身がそのことに驚いている。
大学を出ていないことへのコンプレックスがずっとあったが、気にならなくなったのは、ここ最近だ。
何ひとつ、自分がやりたいことをやらない理由にならないと思い知ったからだ。
父は亡くなる少し前まで、趣味で絵を描き続けていた。
私も再び描きだす様になり、父が使っていた机や道具を貰うことにしたのだ。
絵具の他に、筆立てや梅皿、陶器の筆洗いも使ってみる。
仕上がった絵は、今までと違う優しい雰囲気に包まれ、そんな絵を描けた自分を嬉しく思う。
どこから湧いてくるのか分からない情熱に突き動かされ、今日を生きている。
私の負けん気の強さは、父譲りだ。賑やかで面白い父であった。
嫌いだった、気性が激しく気分屋なところも見栄っ張りのところも似ている。
きっと涼しくて居心地がいいのだろう。貰って来た机は、猫の格好の休憩所となっている(笑)
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