ただそれだけ
最近、気に入っているフレーズだ。
生きていれば、毎日いろいろな感情が沸いてくる。
けれど、それに意味づけをせず「ただそれだけ」と心の中で言ってみる。
先日、酔っ払って口論になり「お前は人を信頼していない!」と非難された。
痛いところを突かれ、自分に問うてみたら、信頼していないと心の奥底の声がする。
愛や信頼というものが、良く分からないというのが正直なところだ。
そう簡単に、人を信頼していると言えない経験を重ねてきたのだから、仕方があるまい。
以前の私なら、人を信頼していないことや愛が分からないことを必要以上に内観し、原因を探していただろう。
愛に対しての飢餓感がある。消えそうにない悲しみがある。
未だに、その手のことを解消しなければ、何をやっても上手くいかないのではないか。
どこまで行っても満足がないのではないか・・・そんな思いにうっかり足を取られそうになる。
けれど今までと違うのは、どんな感情が沸いても、それを言い訳にして歩みを止めないこと。
必要以上にほじくり返し、原因を探さない。考えすぎない。
日々の暮らしの中で悲しさや虚しさ、怒りの感情が沸いてきたり、何か新しいことをする時に恐れや怖さがあるのは当然のことだ。
「ただそれだけ」と、沸きあがる感情を素直に味わい、歩みを進める。
メッセージはいつだって目の前に用意されていて、体験の先には予想を超えた世界が広がっている。
気にしていた事柄すら忘れるほどの展開があるかも知れない。本当の癒しとは、きっとそういうものだろう。
人からどう思われるかを気にしたり、馬鹿にされることが怖かったりもする。
しかし人は、無責任に思ったことを好き勝手に言っているに過ぎない。
迷いが大きければ大きいほど、その声に力を与えてしまう。
自分とも現実とも闘わず、安全な場所からあれこれ言う人の声に、耳を貸す必要はない。
内なる声を頼りに、目の前のメッセージを受け取りながら歩みを進めよう。
大いなるものに身を委ね、なんとかなると信じよう。
人生は味わい深く、面白い。
そう言えるようになった自分が嬉しい。