絵と言葉と

生きることはアートだ。生きるを笑おう、生きるを遊べ!

私の生はまだきっと終わらない

「人に多くを望み過ぎちゃいけないよ。」

生前、夫に言われた言葉だ。


何度も循環器系の手術を繰り返す夫の定期的な診察に、私はいつも付き添っていた。

主治医の夫に対する言葉が、人を人と思わないような態度に思えて、私は声を荒げて言い返してしまったことがある。

入院中も同じように、医師に対して時折、不信感の様なものが態度から滲み出ていたと思う。

その度に夫にたしなめられた。

もちろん夫だって、そんな態度に不満を持っていなかったわけではないだろう。


ある時、夫が自分の気持ちを話してくれた。

先生だって、志や思うところがあって医師になったのだろう。

医者が人格者であって欲しいと思うのは、患者としたら当然なのかも知れない。

けれど、それを求めるのは酷だよ。人に多くを求め過ぎちゃいけないと。

通っていた病院は、その病気のオペの件数が多く技術は高いと言われていて、先生はいつも忙しそうだった。


私はその言葉の意味するところを理解出来ていなかったと思う。

互いに未熟であればこそ、正直に気持ちをぶつけあうのも致し方ないことのように思えた。

実際、診察で言い返してしまった後から、先生の態度は少し変わったように思えたし、今でも私のしたことを悪いとは思っていない。


仮に、医療ミスがあったとしても、それさえ運命と受け入れてしまう様な(私もそうであるけれど)争いを好まない人だった。

職場の人から、「そんなに良い人だと早死にするよ。」と言われたらしい。

「そんなに良い人じゃないよね。」と夫と二人で笑いあったが、本当に早死にしてしまったな。

二十代に大きな手術をして、色々なことを諦めてきたのだろう。結婚してから、先天的な病気だったと分かった。

その後も手術を繰り返し、諦めと希望を行ったり来たり、もがき苦しみながら生まれた優しさなのかも知れない。


今日、そんな事を何故か思い出し、胸に込み上げてくるものがあった。

公園の芝生の上、楽しそうに遊ぶ親子連れを見ながら涙があふれた。

そうなんだ、みんな未熟なのだ。未熟だけれど、それぞれの場所で懸命に生きている。

私自身が未熟であるように、私の父と母も未熟であった。

親という立場、先生と言う立場、理想を求め人に多くを求めてしまうけれど...

誰も彼もが、きっと思い悩んだりしながらも懸命に今日を生きている。

あの時に分からなかったことが、時間を超えて胸に迫ってくる。

言葉にならない。本当のところは何も分かっていないのかも知れない。けれど涙となって心に染みわたってくる。

いろいろなことを知るために、いろいろなことを体験するために、私の生はまだきっと終わらない。

f:id:oceanlily:20191130145842j:image

この文章は2018年11月、Facebookに投稿したものに加筆・修正したものです。

 

作品タイトル 「 光 」

作品サイズ 約53×37cm

使用画材 パステル、墨

 

お問い合わせ

mami.oceanlily@gmail.com

 

Facebook

https://www.facebook.com/mami.oceanlily

 

Instagram

https://www.instagram.com/mami_oceanlily/