絵と言葉と

生きることはアートだ。生きるを笑おう、生きるを遊べ!

私の中の〇〇さん

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苦手な人とか、ある人にまつわる嫌な記憶って、誰にでもあると思う。

そんな時「私の中の◯◯さん」と思ってみたら、その事柄が対処できない大きなことではなく、大したことのない出来事に思えた。

自分を覆う大きなものから、自分の中の小さなものへと、イメージの変換が起きたのだ。

確かに、同じものを見て経験したとしても十人いたら十人分の解釈があるわけで、「私の中の◯◯さん」との出来事はある意味、私が創り上げたファンタジーとも言える。

自分の感じたことをねじ曲げたり、抑圧するのではない。そのままイメージが小さくなることで、それに困らされ続ける必要がないと分かった。
 
これって、自分の父や母についても当てはめられることだろう。

父や母への複雑な想いは、時として自分を縛り苦しめる大きな魔物のように感じる。

けれどそれは自分が創り出した父や母で、彼や彼女の一側面でしかない。
 
接した人それぞれの中に「◯◯さん」があると思うと不思議な気持ちになる。

私も人に嫌われたり、最近はすごく良い人だと思われることも増えて、困惑して怖くなることがある。

人の目という魔物も、それぞれが思い思いに描く「誰かの中の小さな私」と思えば、恐れる必要など無いと感じられる。
 
どんな感情もあって当たり前、あるのが当然。混沌とした世界が私の中にある。何にでもなれる混沌とした宇宙が自分の中にあると感じたことは以前の投稿に書いた。

人への想いも、自分の中で作り上げた出来事だという、違う捉え方をすることで、また気持ちが軽くなった。
 
このシェアを書きながら、以前読んだ山田太一「月日の残像」に、人それぞれの中に、自分というものが存在する不思議について綴られたエッセイがあったことを思い出した。

難しい本で、まだ読みかけだったかも知れない。また引っ張り出して読んでみよう。

私という存在が、人それぞれの中で生きている。それはどんなストーリーだろう。面白くも不気味で、人の存在という不思議さを考え出すと迷宮に迷い込んでしまいそうだ。
 

 
作品タイトル 「記憶の泉」

作品サイズ 148×100mm
使用画材 色鉛筆、鉛筆
2020.05.06

 

まだ先になりますが、個展のお知らせです!

★ 田村麻美 個展 ★

ギャルリーラー / 銀座奥野ビル6F(東京・銀座一丁目)

2021年11月12日(金)〜11月17日(水)予定
 

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