★映画「ドライブ・マイ・カー」を見て★ネタバレあり
物語の登場人物に自分を重ねる。行き交う人々に、かつての自分や今はもう隣にいない人の姿を垣間見る。
そんな風に自分の片鱗を至るところに見つけ、人は己を省みる。
随分前に予告編を見て、落ち込みそうな映画だなと思ったけれど、やはり気になって話題の「ドライブ・マイ・カー」を観た。
主要な登場人物が皆、喪失を抱えながら生きている。うっすらと影のように罪悪感が付き纏っている。
自分が壊れないように、折り合いをつけながら上手に生きようとしてきた役者で演出家の家福(西島秀俊)
演出家として参加した広島の演劇祭で、ドライバー・みさき(三浦透子)との出会いや、亡くなった妻の不貞の相手だった高槻(岡田将生)との再会によって、妻との関係や、やり過ごしてきた自分の内面と深く向き合うことになる。
その姿に心が揺さぶられ、名前のつかない感情が湧き上がって来て、私自身も主人公の家福同様、心の奥深くに押し込めた、薄暗いものと向き合うことを余儀なくされる。
深い苦しみや喪失を抱えながら、どう生きていけばいいのか、容易な答えは示されない。
しかし、登場人物たちの姿や、映画の中で演じられるチェーホフ「ワーニャ伯父さん」の中に、光のようなものを見つけることができる。
物語の中の人々は、苦しみながら生きている。生きていく上で、他人からは理解し難い行動をしてしまうこともある。罪悪感や後悔、どうしようもなさ...
そんな登場人物に自分を重ねて、愛するものを失うということは、これほどに苦しんでもいいことなのだと、もがき苦しんだ自分を許してあげようと思えた。
亡くなった人も愚かで弱い自分も、綺麗事にして物語の中に閉じ込めてしまわずに、表も裏も秘密もない「ただそうであった」ということを受け止めようと思ったら、心が少し楽になった。
多言語で演出される演劇の稽古、家福の妻・音(霧島れいか)の紡ぐ物語、車中で音について語る高槻の姿、故郷の北海道に辿り着き母について話すみさき、魅力的なシーンがいくつもある。広島のゴミ処理場や海の景色も美しい。
互いに喪失を抱えた家福とドライバーのみさきは、言葉を多く交わすわけではない。けれど車という密室、運転や仕事に対する姿勢に徐々に心が通い合っていく。
タバコを吸う二人の姿や、車中で座る位置に、内面の変化が現れているようで、見ていて思わず笑みが溢れる。
車は、人との距離や時間を通常とは違うモードに運んでしまう不思議な空間なのかもしれない。
私は免許を取って初めてのドライブで、夫との思い出の場所を一人で巡る旅をした。不思議と寂しくはなかった。
心の中で何度も語りかけていたせいか、まるで助手席に居るかのように感じる瞬間もあった。
あまりにも下手な運転にヒヤッとしたり、クラクションを鳴らされて落ち込んだりもした。
「思い煩うな、ご機嫌で生きろ」そんな声が聞こえてきた私のドライブシーンを思い出した。
ドライブ・マイ・カーの最後のシーン、みさきの姿が印象的だ。
喜びも悲しみも、相反する感情を人は矛盾なく同時に内包できる存在なのだと思う。
私たちは大丈夫、前を向いて生きていこう。
「黄昏」
まとわり
はりつく
かなしみは
かげのごとく
ついてくる
ひかりを
おうほど
いろこく
うまれる
かげぼうし
誰そ彼
私はあなた
あなたは私
闇にまぎれて
ひとつになろう
絵と詩 田村麻美 Mami Tamura
作品タイトル 「黄昏」2017年
作品サイズ 約35×26cm
使用画材 パステル、墨
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