絵と言葉と

生きることはアートだ。生きるを笑おう、生きるを遊べ!

いのちのプリズム

夫は循環器の疾患を抱えていたので、結婚生活11年の中で数回に及ぶ手術と、それに伴って長期入院することあった。

たまに思い出すエピソードがある。夫の病室は4階だったか5階にあったのだけれど、病院のエレベーターはいつも混んでいて、乗れないと何度も見送ることになる。

もちろん車椅子や点滴棒を持った人などが優先で、健康な私は気力と体力があれば階段を使うのだけれど、くたびれている時はエレベーターを待つ。

その時も、一階で開いたエレベータはギリギリ数人が入れるくらいで、私の前で待っていた男の子がお先にどうぞと譲ってくれた。

小学校3〜4年生くらい。パジャマを着ていたから、入院しているのだろう。手には売店のレジ袋、確かカップ麺だかおにぎり、お菓子が入っていた。

お礼を言って乗り込んだ時、ちょうどもう一台のエレベータのドアが開き、乗っていた知り合いの看護師さんに「〇〇くん、こっちに乗りなよ!」と声をかけられたけれど、明るく大丈夫だよって感じで、また見送っているのが見えた。

そんな一連の出来事を病室に戻って、夫に話した。

夫は、その男の子について「やるじゃん」と一言だけ言った。私も全く同じ気持ちだった。

ケチをつけるのもなんだが、病院の食事はあまり美味しくなかった。食事制限や、注意をされても、買い食いや差し入れが気晴らしや楽しみだったりする。

エレベーターを譲ってくれる優しさ、看護師さんから可愛がられている様子も目に浮かぶようで、私は男の子の素直な明るさや、たくましさを感じていた。

その病院は心臓疾患の手術に特化していたので、全国から患者さんが集まる。もしかしたら、その子も重い病気で長い入院生活を送っていたのかもしれない。

何年も前の、なんてことのないエピソードだ。

けれど、あの男の子の一瞬の優しさと明るさ、ほんの一言で多くを分かり合えた夫との会話を思い出し、人それぞれが背負った宿命や、魂の逞しさなんかに思いを馳せる。

50歳を越えられずに亡くなった夫のことを可哀想に思う人も居るが、私はとても逞しくて勇敢な魂だと思っている。

ひと回りも年上だった夫の亡くなった年齢に近づくにつれて、自分の甘えた考えや生きる姿勢なんかを反省すると同時に、強さの中に隠された彼の孤独にも目が向くようになった。

でも、そのような孤独は、誰しも自分ひとりで抱えていくしかないのだろうな。

人ひとりの死は、さまざまな経験と感情をもたらして、私もかなり逞しくなった。けれど、愛する人を失った悲しみは、何年経っても薄れないものだなとも思う。

いつも悲しみを纏っているわけではない。けれど、ふとした瞬間に鮮度を保ったまま、理屈ではないところからやってくる感情に自分でも驚く。

悲しみも喜びと同じように、光の一側面なのだと思っている。

プリズムが光を通して色とりどりにきらめくように、さまざまな経験をして色々な感情を知ることは、とても豊かなことだ。

鮮やかに彩られる世界を味わいながら、私も美しく逞しい魂で在りたい。
 
 
 
プリズムから広がる世界

それはまるで人間模様

人はどこかで知っている

喜びも悲しみも

光の一側面であることを

いろとりどりにきらめく

いのちのプリズム
 
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絵と文 田村麻美 Mami Tamura

作品タイトル 花のかんむり

作品サイズ 約450×350mm
使用画材 パステル、墨

 

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