絵と言葉と

生きることはアートだ。生きるを笑おう、生きるを遊べ!

生と死の不思議について

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どのように死ぬかなんて、私は選べないと思っている。

 

すべては複雑に絡み合い、人知を超えているからだ。

 

私は夫を病院で看取った。

 

可能な限り一緒に過ごし、延命こそ本人の意思でしなかったが、病院で一般的に行われる最期の処置がなされたのではないかと思う。

 

逆に、父は自宅で最期を迎えた。

 

その一言を聞いて、良かったねと言う人も居る。

 

しかしそれは、私たちの選択というよりは、本人たちの意思を超えた、たまたま偶然の連なりによる抗えない流れだった。

 

私は自分の判断や作業が、父の残された時間、死の一端を負わされているような気がして逃げ出したかった。

 

もともと私は神経質な気質で、自分が向き合えないことが起こると、不安に絡め取られてしまい、手の汚れが気になったり、戸締りに時間がかかったり、あらゆる事が気にかかって消耗してしまうところがある。

 

夫の死で精神的に疲弊していたので、無理だと思っていたし、母もオロオロするばかりで、先生からの病状の説明ですら、私か姉が居なければ、進まない状況だった。

 

しかし、病院の勧めや一時退院の病状から、結果的に実家で父を看取ることになった。

 

もちろん、気兼ねなく一緒の時間を過ごせたし、元気があるうちは好きなものを食べ、話をしたりと、いい思い出もある。

 

出来るだけ実家へ顔を出し、父の側で寝泊まりし、その時点で出来る最善のことをした。

 

訪問に来てくれた医師や看護師さんたちは、一生懸命に対応してくれたし、とても感謝している。

 

しかし、日によって医師が変わり、方針の違いに戸惑ったり、説明不足があったりと、精神的フォローがゆき届く訳もなく、知識も経験もない状況で日々衰弱する父と向き合う私たちは、とても不安で孤独だった。

 

夫を亡くして半年ほどで、父に末期の癌が見つかり、3ヶ月も保たずあっという間に逝ってしまった。

 

身に起きたことを、誰に(神に?)文句を言える訳もなく、父を実家で看取ったあと、私は早朝ひとりの家に戻り、自分のために声をあげて泣いた。

 

貴重な経験をした(させられた)とは思うが、どちらの看取りがいいとも言えない。

 

人がどのような最期を迎えるか、大切な人の最期に立ち会えるのか、そんなことは人知をはるかに超えたことだ。

 

私自身はどんな死に方をしてもいいと思っている。

 

ただ、自分の死によって、誰かが責任を感じるような亡くなり方は避けたいと思っていた。

 

しかし残されたものが何を思うかなんて、私の出来うる範疇をゆうに超えている。

 

人は感じたいように感じ、見たいように自分の世界を見ているのだ。

 

ただ思うのは、どんな経験であれ、大いなるもの視点から見れば、私にとって必要な出来事が起こり、乗り越えられる力があり、すべては必然なのだろう。

 

カウンセリングを受けたり、様々な人と出逢ったり、自然に教えられたりと、知識と体験によってそう思うようになった。

 

父との最期の時間を、何故これほど赤裸々に書いているのかわからないが、私にとってこれが必要な癒しのプロセスなのだろう。

 

大切な人の死は、誰しも経験することなのに、比べることなど出来ぬほど、人それぞれに掛け替えのない体験だ。

 

生と死の不思議さについて、おおいに悩み、おおいに悲しみ、そして笑い、素直に生きればいいのさ。

 

そして自分の最期のとき、どんな状況であれ、きっと魂は自覚的だと思うので、おぉ〜〜私の死にざまはこんなか⁉︎と驚きと好奇心を持って逝きたいと思っている(笑)

 

この文章は2017年8月、Facebookに投稿したものに加筆・修正したものです。

 

作品タイトル 「Spring gate」

作品サイズ 約41×41cm

使用画材 パステル・墨

制作年数 2017.04.13

 

Facebook 田村麻美

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死が教えてくれたこと

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私は死んだことがないから、死んだあとのことは分からない。

 

魂というものを、感覚として知っていると感じることや、知識としてこんな感じだろうと思うところはある。

 

夫が肉体から離れるまでの数日間は、残される人たちの心の準備のために頑張っているように見えた。

 

私は夫に、何にも心配いらないよ。大丈夫だよと繰り返し言っていた。

 

頑張っててカッコいいねと言ったら、嬉しそうに頷いた。

 

私が側にいることを一番に望んでいるように思えた。

 

お互いがお互いの最大の理解者だった。

 

私は信じていないことや違和感を感じることをするのが、頑ななほど出来ないタチだ。

 

だから夫が亡くなった時は、本当に困った。夫もその手のことに、まったく興味がなく、墓も葬儀もいらないと言っていた。

 

この世に心残りも多少はあれど、繰り返す手術で苦しい肉体から離れることを楽しみに(?)修行なんてもう充分だぜ!と思っているフシがあった。

 

けれど親より先に逝くことが、残されたものにとってどれだけ苦しいことなのか、その痛みが私の想像を超えることは理解していたので、私は周りに任せることにした。

 

大きかった人ひとりが、ひと抱えの小さな壺の中に収まってしまう。

 

骨を拾い骨壷を渡された時、その事実に衝撃を受け、葬儀の中で一番泣いたように思う。

 

けれど自宅に帰った途端、ああこれで夫は苦しかった肉体から自由になったのだと思った。

 

与えられたそれらに、私は毎日手を合わせ続けた。

 

もう、痛くないよ

もう、お腹は空かないよ

光の存在になったから、自由で軽やかだよ

 

夫にそう伝えた。自分でも不思議なほど、遺骨や位牌、墓などにまったく興味が持てなかった。

 

色々なことがあって、一周忌を機に姓を元に戻した。

 

手続きを済ませ、夫の実家へ挨拶に向かう前日、アルバムをめくっていたら、急に夫の声が聞こえた。

 

私に望むことは、色々な人と出逢い、また愛し愛されること。

自分の狭い世界を飛び出すこと。

 

私は霊感なんてないけれど、はっきりとそう聞こえた。

 

涙がポロポロとこぼれ落ちた。

 

普段から、一度きりの人生、好きなように生きればいいと私に言っていた。

 

もうすぐ四年が経つ。私にとって激動の四年間だった。

 

自分というものを見つめ、揺らされ壊され、再生するプロセスは痛みを伴った。

 

本当にさびしく、苦しい日々だった。

 

あの頃より、今の自分が好きだ。

 

夫が願ってくれたように、自分の狭い世界から飛び出し、見える世界も変わっていった。

 

私は変わり続ける。気づけば私は出逢う人に、夫と死別していることを話さなくなった。

 

以前は言わないと、何か相手に自分を隠しているようで居心地が悪かったのだ。

 

けれど、その経験を話したい訳でもなかった。

 

周囲にまとわりついていた悲しみは、私の内的な一部分となり、光となったように感じる。

 

たくさんの愛情を夫からもらった

たくさんの経験を夫の死からもらった

私の心はより豊かで自由になった

 

ありがとう!私は元気だよ〜

 

 

この文章は2017年8月、Facebookに投稿したものに加筆・修正したものです。

 

作品タイトル 「Circle」

作品サイズ 約67×51cm

使用画材 パステル・墨

制作年数 2017.05.04

 

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光と闇 〈詩・絵〉

 

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光があるから闇がわかる

 

闇があるから光が際立つ

 

光の方向を示してくれた人たち

 

あの人のようには私はなれない

 

どんなに真似しようと溢れるアナタ

 

どんなに真似しようとハミ出るワタシ

 

光へ向かう道は人の数だけあるらしい

 

出逢いの奇跡は彼方よりの約束だ

 

交差した一瞬の輝きを永遠の愛に変え

 

それぞれの光を目指しヒトリ行く

 

 

作品タイトル 光と闇

作品サイズ 約64×37cm

使用画材 パステル、墨

制作年数 2016.11.20

 

 

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はじめまして

はじめまして、田村麻美(たむらまみ)です。

 

 

絵を再び描き始めて、一年半。

 

Facebookで思いを綴り始めて約二年。

 

誰にも頼まれていないのに、なぜ手を動かし続けるのか。

 

それは、内なる衝動を表現せずにはいられないからだろう。

 

生きること、そのものがアートだ。

 

悩み苦しみ、泣き笑う。

 

その体験は、何処かの誰かが必要としてくれるかもしれない。

 

今どき、さらけ出し身を削るようにして創ったものなど、ダサいし流行らないかもしれない。

 

けれど私は、素直で正直であることでしか人とつながることが出来ない。

 

生きるとは何かを問い続け、貪欲に自分の表現を追求して行こうと思います。

 

ブログを始めるにあたり、過去のFacebookの投稿から再編集して絵や詩、写真とともにアップしていきます。

 

アートには「生きる力」を呼び覚ます力があると信じています。

 

応援して頂けると嬉しいです。

 

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