絵と言葉と

生きることはアートだ。生きるを笑おう、生きるを遊べ!

光の種

私を変えてくれたのは、私を変えようとはしない人達だった。

 

カウンセラーさんをはじめ、私を力付けてくれた人達は、悩んで立ち止まり続ける私を認め、自ら気づき変わっていくのを信じて待っていてくれた。

 

誰もが、それぞれに必要な経験をし、自らの力とタイミングで変わって行くことを知っているからだろう。

 

憧れるような存在として在ることでしか、本当の意味で人が人に教えられることなど無い気がする。

 

その人の在り方が光の方向を示し、言葉にはならない何かを伝え、結果として人を変えていくのだと思う。

 

私はたくさんの素敵な人達から、様々な光の種をもらった。

 

長い月日を重ね、どんな風に育つだろう。

 

  

先行く人はまるで蛍のようだ。

 

暗闇の中で光る蛍のように、自らの光で人を導く。

 

美しく清らかな場所はこっちだよと。

 

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この文章は2016年8月、Facebookに投稿したものを加筆・修正したのもです。

 

 

作品タイトル 「灯り」

作品サイズ 約40×32cm

使用画材 パステル、墨

2018.03.27

 

 

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鏡 〈詩・絵〉

誰かを非難することは

自分を非難することだ

 

自分の中にある同質なものを排除し

自分を正当化しようとする行為だ

 

反面教師というけれど

私は何かを勘違いしたらしく

制約ばかりの狭い世界の住人になってしまった

 

誰かを否定することは

自分を否定することだ

今の私の中にあるもの

かつての私の中にあったもの

長い転生でやってきたであろうこと

今はまだ知らない新しい世界

 

自分の自由と経験と同じように

相手の自由と経験も尊重しなくては

 

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今はまだ頭でっかち

綺麗事で難しいけれど

心が揺さぶられ波立つけれど

 

それはきっと自分のため

 

過去の出来事を受け入れるため

 

私の中のありとあらゆる可能性と多様性のため

 

誰もがみな旅の途中

 

あらゆる制限を愛で溶かして

すべてを緩やかに抱きしめたい

 

誰かをそのまま愛おしむことは

自分をそのまま愛おしむことだ

 

 

作品タイトル 「鏡」

作品サイズ 約15×15cm

使用画材 パステル、墨

制作年数 2017.03.23

 

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バカで愛される天才~不完全でいて完璧~

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愛されるバカより、嫌われる天才になりたい

 

画家になりたかった10代の頃、尖って言っていた言葉だ

 

バカで愛される天才になりたい

 

今はそう思っている(笑)

 

麻美ちゃんだから、しようがない

 

どうしようもないところを、そんな風に面白がられ愛されたら最高だ!

 

人はきっと生まれながらに、それぞれに備わった才能があって

 

自分を活かす場所と仲間を見つければ

 

あるいは、本来の自分でいると心に決めさえすれば

 

もてる力を発揮し、足りない部分を互いに補いながら

 

生き生きと素直な自分で愛し愛される気がする

 

私はもう、苦しさと我慢を伴う場所にはいられない

 

自由に行きたい場所と仲間を選べること

 

不完全なこの自分で生きるしかないと開き直れたこと

 

それが大人になって良かったことだ

 

不完全でいて完璧

 

矛盾をはらみながら、すべてを包み込む混沌とした

 

そんな優しい世界に私達はきっと生きている

 

この文章は2017年3月、Facebookに投稿したものに加筆・修正したものです。

 

作品タイトル 「翔」

作品サイズ 約67×51cm

使用画材 パステル・墨

制作年数 2017.03.13

 

 

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人生は螺旋階段のように

そのままの自分には価値が無い

 

私をざわつかせる、あらゆる問題の根源に、そんな思いがあることに気がついた。

 

だから幼いころから、親に愛されるために、人に気に入られるために、あれこれと頑張り、いろんなものを貼り付けて、自分の価値を高めようと必死にやって来たのだ。

 

今の自分では必要とされない。お金を稼がなければ認められない。理解されたい、愛されたい、でも今のままでは愛されない。バカにされる、嫌われる。きちんとしなきゃ、頑張らなくっちゃ。

 

善い人間にならなければ、神様から見放される。そんな気持ちがあるのかも知れない。

 

「条件付きの愛なんて要らないよ!」

 

心の中で、神様に暴言を吐いてみる。

 

この苦しさや制限は、他の誰でもない、自らが創り出していることを思い出し、私の神とは自分自身であったか・・・とふと思う。

 

気づきの為の経験、より善くなるプロセス、すべてはうまくいっているということか。

 

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そんな話を新宿で美味しいものを食べながら、大切な人にシェアをした。

 

話をしながら当時の父や母の年齢を思う。

 

無条件に愛して欲しい、理解して欲しいと思うのは子として当然だけれど、親もひとりの人間として未熟であったことは容易に想像がつく。

 

初めて食べる莫久来(ばくらい)や生牡蠣、ウドのてんぷらを食べ、口の中が海になったり、春になったり。

 

胸のざわつきはまだ消えないけれど、美味しい日本酒を飲んで笑っている私は間違いなく幸せだろう。

 

時間はらせん状に進む。

 

高校生の時に読んだ小説に書いてあったことを思い出した。

 

同じところをぐるぐると回っているように思えても、横からみるとちゃんとジグザグに進んでいるらしい。

 

大丈夫、ちゃんと少しずつ進んでいる。

 

未来は明るい。

 

 

この文章は2018年3月、Facebookに投稿したものに加筆・修正したものです。

 

 

作品タイトル 「Prism flower 」

作品サイズ 約35×35cm

使用画材 パステル・墨

制作年数 2017.04.26

 

 

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炎 〈詩・絵〉

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私の中に灯る炎

 

呼び覚まされ動き出す衝動

 

自分さえもわからぬのだから

 

人からの理解を手放すほかない

 

胸のうちに従い降参すれば

 

生命のともしびは

 

生きる歓びとなるか

 

すべてを焼き尽くす大火となるか

 

炎は静かにこの身を燃やし

 

放たれる日を焦がれる

 


作品タイトル 「炎」

使用画材 紙、アクリル絵具、パステル、チャコールペンシル

作品サイズ 約33×23cm

制作年数 2017.01.31

 


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泉 〈詩・絵〉

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水面に映る月の光の道

陽を浴びきらめく波の文様

たゆたうように身をまかせ

思うままに楽しめばいい

 

風や梢のざわめく声を

鳥のさえずる美しい声を

友のささやきや笑い声を

心を澄ませて聴けばいい

 

ぽっかりと空いた心の穴に

いつしか静かな水が満ちていた

樹々や草木が生い茂り

小鳥の集まる泉となった

 

時には大きく波打つ水面を

ひとりぼっちの夜の静寂を

投げ込まれる小石でさえ

そのままを味わえばいい

 

揺れながら

感じながら

あるがまま

 

ただ生きていけばいい

 

 

作品タイトル 「泉」

作品サイズ 約 52×36cm

使用画材 パステル、墨

制作年数 2017.05.12

 

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生と死の不思議について

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どのように死ぬかなんて、私は選べないと思っている。

 

すべては複雑に絡み合い、人知を超えているからだ。

 

私は夫を病院で看取った。

 

可能な限り一緒に過ごし、延命こそ本人の意思でしなかったが、病院で一般的に行われる最期の処置がなされたのではないかと思う。

 

逆に、父は自宅で最期を迎えた。

 

その一言を聞いて、良かったねと言う人も居る。

 

しかしそれは、私たちの選択というよりは、本人たちの意思を超えた、たまたま偶然の連なりによる抗えない流れだった。

 

私は自分の判断や作業が、父の残された時間、死の一端を負わされているような気がして逃げ出したかった。

 

もともと私は神経質な気質で、自分が向き合えないことが起こると、不安に絡め取られてしまい、手の汚れが気になったり、戸締りに時間がかかったり、あらゆる事が気にかかって消耗してしまうところがある。

 

夫の死で精神的に疲弊していたので、無理だと思っていたし、母もオロオロするばかりで、先生からの病状の説明ですら、私か姉が居なければ、進まない状況だった。

 

しかし、病院の勧めや一時退院の病状から、結果的に実家で父を看取ることになった。

 

もちろん、気兼ねなく一緒の時間を過ごせたし、元気があるうちは好きなものを食べ、話をしたりと、いい思い出もある。

 

出来るだけ実家へ顔を出し、父の側で寝泊まりし、その時点で出来る最善のことをした。

 

訪問に来てくれた医師や看護師さんたちは、一生懸命に対応してくれたし、とても感謝している。

 

しかし、日によって医師が変わり、方針の違いに戸惑ったり、説明不足があったりと、精神的フォローがゆき届く訳もなく、知識も経験もない状況で日々衰弱する父と向き合う私たちは、とても不安で孤独だった。

 

夫を亡くして半年ほどで、父に末期の癌が見つかり、3ヶ月も保たずあっという間に逝ってしまった。

 

身に起きたことを、誰に(神に?)文句を言える訳もなく、父を実家で看取ったあと、私は早朝ひとりの家に戻り、自分のために声をあげて泣いた。

 

貴重な経験をした(させられた)とは思うが、どちらの看取りがいいとも言えない。

 

人がどのような最期を迎えるか、大切な人の最期に立ち会えるのか、そんなことは人知をはるかに超えたことだ。

 

私自身はどんな死に方をしてもいいと思っている。

 

ただ、自分の死によって、誰かが責任を感じるような亡くなり方は避けたいと思っていた。

 

しかし残されたものが何を思うかなんて、私の出来うる範疇をゆうに超えている。

 

人は感じたいように感じ、見たいように自分の世界を見ているのだ。

 

ただ思うのは、どんな経験であれ、大いなるもの視点から見れば、私にとって必要な出来事が起こり、乗り越えられる力があり、すべては必然なのだろう。

 

カウンセリングを受けたり、様々な人と出逢ったり、自然に教えられたりと、知識と体験によってそう思うようになった。

 

父との最期の時間を、何故これほど赤裸々に書いているのかわからないが、私にとってこれが必要な癒しのプロセスなのだろう。

 

大切な人の死は、誰しも経験することなのに、比べることなど出来ぬほど、人それぞれに掛け替えのない体験だ。

 

生と死の不思議さについて、おおいに悩み、おおいに悲しみ、そして笑い、素直に生きればいいのさ。

 

そして自分の最期のとき、どんな状況であれ、きっと魂は自覚的だと思うので、おぉ〜〜私の死にざまはこんなか⁉︎と驚きと好奇心を持って逝きたいと思っている(笑)

 

この文章は2017年8月、Facebookに投稿したものに加筆・修正したものです。

 

作品タイトル 「Spring gate」

作品サイズ 約41×41cm

使用画材 パステル・墨

制作年数 2017.04.13

 

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