わすれたのではなく
なくしたのでもなく
ずっとここに
あったのです
作品タイトル 「あじさい」
作品サイズ 約24×24cm
使用画材 パステル
2018.05.10
イルカと泳ぐ!ドルフィンリトリート御蔵旅〈2017.6.12〜16〉
「大きな節目となるだろう。」そんな予感を抱きながら始まった御蔵島の旅。
たくさん笑い、たくさん食べて、クタクタになるまで遊んだ。
スケッチブックを持って行ったが、イルカも風景も描く気になれなかった。
自然が放つエネルギーは強大で、自分の画力では捉えきれない。自分の小ささを感じていた。
朝の散歩の途中、神社の境内に咲いていたドクダミをスケッチしたが、白く小さな花でさえ、こちらの勝手な解釈で描いてはいけないような、そんな気高い空気をまとっている。
ドルフィンスイムのボートの上、自然がつくり出した荒々しい山肌、海の強いうねりに、ただ美しく癒されるだけではない、自然の底知れないエネルギー、言葉を当てはめれるとすれば「畏れ」のようなものを感じた。
ふと、私も自然の一部であるならば、自分の内にも予想をはるかに超えた、底知れない力があるのではないか・・・そんな思いが浮かんだ。
相反する、あらゆるすべてを飲み込んで調和する、人知を超越したエネルギー。
それは外側に広がる世界でのことだけではなく、己の内側にもあるはずだ。
神秘ともいえる宇宙の営みを信頼し、委ねていいのではないか。
思い煩うことですら贅沢で、すべては必要な経験だと思えるようになった私は、愛おしいと思える人や時間が増えていった。
私は大丈夫。どんどん動いて、変化していこう。
そんな気づきにあふれた旅
一緒に旅した仲間はみな、心優しい繊細さと、ひとりでの参加を決めた強さを持ち合わせた素敵な人たちだ。
くだらないことで大笑いし、自然が見せる小さな美しさを見つけては共有し、心の痛みや感動を分かち合う。
自然と触れ合ううちに、気心が知れた友のような信頼感が生まれた。
イルカのいる海、豊かな循環を教えてくれる森の中で、自分という存在を感じる贅沢な時間。
目に見えるもの、見えないもの、すべての存在に感謝があふれる。
素晴らしい旅をどうもありがとう。
この文章は2017年6月、Facebookに投稿したものに加筆・修正したものです。
写真はこの素敵な旅を提供してくれた、ネイチャーガイド風の道、人見道夫さん撮影です。HP・ブログはこちら
私は、最愛の夫と四年程前に死別をしている。
精神的にかなり依存をしていたので、立ち直るのはずいぶんと大変だった。
私にとって夫の存在は、親友であり父の様でもあった。
彼にまつわる人間関係とその周りの出来事が自分の世界のほとんどであったため、別れは強制的に「私の世界」をがらりと変えた。
放り出された世界で、日々の出来事に翻弄された。そんな中で、自分自身と向き合うことは、痛みと苦しさを伴った。
それでも、「出逢いも別れも同等に素晴らしい。」と言えるのは、別れによって多くの事を学び、人生がより豊かになったからだ。
夫の死の半年後に私の父も亡くなった。精神的にすっかり参ってしまった私は、臨床心理士のカウンセリングを受けた。
話をする中で出て来たことは、夫への想いや悲しみよりも、意外なことに、小さな頃からの親への不満、生きることの苦しさ、トラウマになっている出来事についてだった。
そんな最中、子どもの頃に起きたトラウマを刺激する話を聞いたり、行かなければならない場所で、それを彷彿させる事件が起きたりと、偶然とは思えないことが続いた。
それに向き合い、人に話を聞いてもらったり、助けを求めることによって、気づけば長いあいだ心を締め付けて来た、トラウマが気にならなくなっていった。
大きな流れの中で、その出来事を振り返ってみると、大いなる存在の計らいのようなものを信じるよりほかない。
自分の意思とは別の何かと、より善く生きたいという願いの連鎖によって、「今ここ」に存在していることが分かる。
今の自分は、四年前と別人の様に感じる事がある。
だから夫をどんなに愛していたとしても、それはその時点での最善最良であって、もう完全に終わってしまったのだと素直に思う。
懸命に生き、必要な体験を互いにし尽くした。
今の自分を支え、ともに過ごす人たちは、辛い別れを経たからこそ出逢えたものだ。
生きていれば楽しい事ばかりではないけれど、色々な感情や様々な出来事によって、人生はより豊かに味わい深くなっていく。
重ねた愛おしい時間が自分を創っていると同時に、新たな出逢いにより変わり続ける。
その面白さに、ようやく気がつき始めたところだ。
この文章は2018年2月、Facebookに投稿したものに加筆・修正したものです。
作品タイトル 「空へ」
作品サイズ 約53×31cm
使用画材 パステル
2017.11.13
枯れない花がないように
誰しも人は必ず死ぬ
死を想え
鮮やかに彩り動き始める
生のために
作品タイトル 「memento mori 」
作品サイズ 約45×37cm
使用画材 パステル、墨
2018.05.15
自分の葬式を描いてみたいと思っていた。
生きるために、一度死ぬ。
どう生きるかを考えたとき、誰もが「死」について想いを巡らせるのではないだろうか。
この絵は額装すると、ガラスの反射により中央に顔が映り込む構図になっている。
最期の時に想いを馳せ、新たな視点で日常を眺めてみようと思う。
ハワイ島イルカ・クジラを巡る旅〈2/15〜2/20〉その3
ザトウクジラが泳ぐ姿を初めて見た。
胸びれが見えてから尾びれが現れるまで、ゆったりとした時間が流れ、その優雅な動きに驚いた。
何度も胸びれを大きく高く上げ、まるで私たちを歓迎してくれているようだ。
ハワイ島滞在4日目のドルフィンスイムは幸運なことに、どこを見ればいいのか分からないほどイルカに囲まれた。
唄声が耳に残り、姿が見えなくなっても、音が水面を伝ってくるのか幻想なのか分からなくなる。
メアジの大群とも一緒に泳がせてもらう。その姿はレオ・レオニが描く「スイミー」そのもので、まるで大きな生き物のように群れで動く不思議な世界を垣間見せてもらった。
笑いと気づきにあふれた旅。部屋で夕飯を食べ飲みながら、夜遅くまで様々なこと語り合った。
誰かが話すことを自分のこととして感じ、それによって自分が話すことも、相手に言っているようで、私自身に言っているのだと気づく。
自分と相手との境目が薄まり、今ここでありながら過去と未来の自分との対話、同じ課題を持った魂の表と裏を垣間見るような感じがした。
旅の途中、心を大きく揺さぶられ、涙があふれた瞬間があった。
その時はなぜだか分からなかったが、帰りの飛行機の中でその理由が分かった。
私は今世、何としてでも最期まで生き切ろうと思って生まれたのだと確信した。
生きるとはどんなに不条理で、この世は残酷に思えても、それを知ってなお、それでもより善く明るさをもって全うしようと決めて生まれて来たのだと。
生きるのが苦しく、消えたいと癖のように思っていた時期があったけれど、それは「生きる」とういことへの希望が大きいからこその闇であったのだろう。
自然からたくさんの事を学び、素敵な人たちと出逢い、色々な体験を積むうちに、気づけは死に憧れる気持ちが無くなっていた。
闇が光に転じたのか、混沌をゆくのか分からないが、自分の魂のたくましさを信じよう。
今回のハワイ島の旅は、魂の源に触れる旅になった。
気づいたことを現実に添わせながら一歩ずつ丁寧に生きよう。
たくさんの気づきをくれた旅の仲間、お世話になった方々、本当にどうもありがとう。
人生という名の旅はつづく。
目に見えるもの見えないもの、すべての存在に感謝します。
おわり
この文章は2018年2月、Facebookに投稿したものに加筆・修正したものです。
写真はこの素敵な旅を提供してくれた、ネイチャーガイド風の道、人見道夫さん撮影です。HP・ブログはこちら
ハワイ島イルカ・クジラを巡る旅〈2/15〜2/20〉その2
水面をのぞき込むと空が映っていて、どこまでも深く果てしない反転した「もう一つの世界」があるように思えてくる。
何かの拍子に波紋が広がる。いくつもの波紋が干渉し合い、景色がゆがむ。まるで私の心のようだ。
見上げれば空高く伸びる樹々と美しい空
はたして私はこの世界の実相をちゃんと見ているのだろうか。
水に心ひかれ、目に見えるもの見えないものに想いを馳せる。
ハワイ島滞在3日目、ボルケーノに行く予定だったが、天候の関係で変更になった。
天候に限らず、人生には「必要な時に必要なことが起こる」ということが身にしみて分かるにつれ、どんな時も楽しめるようになってきた。
偶然など何ひとつなく、一緒に過ごし話をするごとに、なぜこの場所にこの仲間で「今ここ」に居るのかが分かるようで、その不思議さに驚きと畏れのような気持ちが湧く。
そう言うと格好がいいのだが、たいていは誰かのくだらないギャグや、あふれ出るどうしようもなさを笑い合っている。
心置きなく過ごすことで、どんどん素直に軽やかになっていく。
雨なら雨を楽しみ、少しの時間でもと海に入り、夕陽を待ち、ご褒美のような星空に息をのむ最高の一日となる。
魂の目的なんて、大それたことではなく、水面の小さな一滴、その場の小さな光になることではないのかと、酔っぱらった頭にそんなことが浮かんだ。
つづく
この文章は2018年2月、Facebookに投稿したものに加筆・修正したものです。
〈ハワイ島 イルカ・クジラを巡る旅〉は、ネイチャーガイド風の道、人見道夫さんのツアーです。HP・ブログはこちら
ハワイ島イルカ・クジラを巡る旅〈2/15〜2/20〉その1
きっと休憩中なのだろう、ゆったりとイルカの群れが下を通り過ぎていく。青く透き通る海は底の方まで良く見える。
ハワイアンスピナーは御蔵島に棲むミナミハンドウイルカにくらべ、小柄で口先が細くスタイリッシュ。なんだかとても美人さんだ。
連れて行ってもらったケアラケクア湾は、カラフルな魚が表情まで見てとれるほど近くでたくさん泳いでいる。
二年前の6月に初めて御蔵島で野生のイルカと泳いだ。日本に野生のイルカが棲んでいることに驚き、海や森、自然が見せてくれる豊かさに魅了された。
海を泳いでいると、心に湧いてくる想いは「ありがとう」だ。それは具体的に説明できることばかりではなく、言葉に言い表せないものを含んでいる。
思っているだけでなく、気づけはシュノーケルを口にしたまま、よく声に出してしゃべっている(笑)
日本語でありがとうと言っているのだが、御蔵島のイルカもハワイ島のイルカにも、樹や鳥にもちゃんと届いているだろう。
美しい色とりどりの魚を見ていたら、亡き夫と何度も訪れた沖縄県宮古島の海を思い出した。
結婚当初から心臓の悪かった夫とは、海外旅行に一緒に行ったことがない。
宮古島でもツアーに参加したりはしなかったが、浜からのんびりシュノーケルを楽しみ、綺麗な魚と泳ぎ、美しい海を堪能した。
ありがとうには、「今ここ」に居ることへの感謝も含まれる。過去のあれやこれが無ければ、私は今ここに居ないと思うからだ。
寝不足のせいか朝から頭が痛く気持ちが悪かったのだが、海からあがったら痛みが無くなっていた。海はいつも私に元気をくれる。
ふと、夫は私を通して今日の景色を楽しんでいる様な気がした。
いつかまた逢えたときに報告が出来るように、たくさんの経験を積もうと思うことはある。けれど体験を共有している感覚になったのは初めてだ。
猛スピードで港に帰る船の中、静かに涙がこぼれ落ちた。
つづく
この文章は2018年2月、Facebookに投稿したものに加筆・修正したものです。
写真はこの素敵な旅を提供してくれた、ネイチャーガイド風の道、人見道夫さん撮影です。HP・ブログはこちら