今日のお絵かき
ご依頼下さった方をイメージして描いている
その人から溢れ出る美しさや強さ優しさを
一枚の花束にしてお届けしたい
〜Bouquet ブーケ〜〈オーダー作品〉
今日のお絵かき
ご依頼下さった方をイメージして描いている
その人から溢れ出る美しさや強さ優しさを
一枚の花束にしてお届けしたい
〜Bouquet ブーケ〜〈オーダー作品〉
昨夜の紅白歌合戦オープニング「平成最後の大晦日」という言葉に不意に込み上げるものがあった。
一瞬にして30年分の大切な人と過ごした年末年始が思い起こされ涙があふれた。
いろんなことがあって、それらが連なって「今ここ」に居ることの有り難さ。
最後というのは往々にして、後から気づけばそうであって、はじめから最後と分かっているものは少ない。
だからこそ今を精一杯生きよう!
笑顔の日々も喧嘩や涙の日々も、今思えば同じように贅沢で愛おしい時間だったね。
〜終わりは始まり〜
さて、2019年!
気持ちを新たにする年明けの瞬間が大好きだ。
肩の力を抜いて、天真爛漫に生きることを楽しもう🎶
楽しい!可愛い!!面白い!!!が今年のキーワード
皆さま、今年もどうぞ宜しくお願いします!
「人の目」という名の、自分の内側に根付く制限を超えた選択をした時、ああ生きてるなって実感することが多い。
誰がなんと言ってもいいや、私はこういう風にしか生きられないと、ある意味、諦めを含んだ決断をした時こそ、命が輝くというか、生命が沸き立つような力がみなぎる。
誰かに非難されることや、どう思われるかを気にして行動を制限することを辞めたら、私はどんどん元気になっていった。
自分の気持ちに偽りを持たない。
正しさや道理ではない、自分の欲する、自然発生する理屈ではない思いをワガママに追求してみたい。
自分の気持ちに正直になることは、相手にとって不誠実になることもある。
でも自分が想像した、相手にとって良かろうと思ったことが、本当に役に立つかはわからない。
どこまで行っても私は私の想像した範疇を出ることは出来ず、そんなことに右往左往しヘトヘトになるくらいなら、自分の気持ちを正直にぶつけ、目の前にいる人の、その言葉と姿勢を信じるより他ない。
私はいつだって真剣だ!真剣に人生を遊んでいる(笑)
矛盾ばっかりと人から言われることもあるけれど、一瞬一瞬の喜怒哀楽に矛盾はない。
互いが理解不能の相手であった時、別の道を選ぶのか、それを超えた相手へのリスペクトを含んだ関係を結ぶのか...
それは自由であって、どちらも希望へと繋がる道だろう。
いろんな人がいて、いろんな考えがある。
それを面白がれる自分でいたい。
正しさなんてクソ喰らえで、無邪気に戯れ、ダサい自分を相手に晒し、それでも愛おしいと思い合える、そんな仲間が一人でも居たら、この世はサイコーだ!
この文章は2017年11月、Facebookに投稿したものに加筆・修正したものです。
作品タイトル「炎」
作品サイズ 約33×23cm
使用画材 紙、アクリル絵具、パステル、チャコールペンシル
2017.01.31
生きていれば、人に嫌われたり悪意を持たれたり、反対に人に好意を持たれたりもする。
誉められれば嬉しいし、気に入らない奴をギャフンと言わせたい時もある。
けれど認められたり褒められたところで、それは一時のこと。
すべては常に変わり続ける。
人の言うことに一喜一憂し、状況に右往左往しがちだ。
けれどそんな外側の不確かなものを基準にして、人生の舵をとってはならないのだと実感する。
良いと思える時も、そうでない時も、目の前のことを大切に、同じ姿勢でものごとに向き合えたらと思う。浮かんだり沈んだりせずに...
とは言っても大抵は大きく揺さぶられ、小さな器が溢れることで己を知る。
揺らされ壊され新しくなる毎に、深く美しい器になると信じよう。
ただそれだけ
最近、気に入っているフレーズだ。
生きていれば、毎日いろいろな感情が沸いてくる。
けれど、それに意味づけをせず「ただそれだけ」と心の中で言ってみる。
先日、酔っ払って口論になり「お前は人を信頼していない!」と非難された。
痛いところを突かれ、自分に問うてみたら、信頼していないと心の奥底の声がする。
愛や信頼というものが、良く分からないというのが正直なところだ。
そう簡単に、人を信頼していると言えない経験を重ねてきたのだから、仕方があるまい。
以前の私なら、人を信頼していないことや愛が分からないことを必要以上に内観し、原因を探していただろう。
愛に対しての飢餓感がある。消えそうにない悲しみがある。
未だに、その手のことを解消しなければ、何をやっても上手くいかないのではないか。
どこまで行っても満足がないのではないか・・・そんな思いにうっかり足を取られそうになる。
けれど今までと違うのは、どんな感情が沸いても、それを言い訳にして歩みを止めないこと。
必要以上にほじくり返し、原因を探さない。考えすぎない。
日々の暮らしの中で悲しさや虚しさ、怒りの感情が沸いてきたり、何か新しいことをする時に恐れや怖さがあるのは当然のことだ。
「ただそれだけ」と、沸きあがる感情を素直に味わい、歩みを進める。
メッセージはいつだって目の前に用意されていて、体験の先には予想を超えた世界が広がっている。
気にしていた事柄すら忘れるほどの展開があるかも知れない。本当の癒しとは、きっとそういうものだろう。
人からどう思われるかを気にしたり、馬鹿にされることが怖かったりもする。
しかし人は、無責任に思ったことを好き勝手に言っているに過ぎない。
迷いが大きければ大きいほど、その声に力を与えてしまう。
自分とも現実とも闘わず、安全な場所からあれこれ言う人の声に、耳を貸す必要はない。
内なる声を頼りに、目の前のメッセージを受け取りながら歩みを進めよう。
大いなるものに身を委ね、なんとかなると信じよう。
人生は味わい深く、面白い。
そう言えるようになった自分が嬉しい。
何も遮るもののない空を仰ぎ見ると
海や緑、地平線がまあるく見えて
まるでスノードームの中に居るようだ
美しい世界が自分中心に広がっている
楽しいこともハプニングも
笑いあえる仲間がいる幸せ
素晴らしい時間をありがとう!!!
写真は素敵な体験を提供してくれたアウトドアガイド平野 睦 (Atushi Hirano)さん撮影です
肩の力が抜けたのか、蕁麻疹もようやく治まった。
今回の個展、意気込みを感じたとおっしゃる方もいらしたが、きっと気迫に満ちていたのだろう。
セルフプロデュースだったため、純粋にいい絵を描くことと、個展を企画運営する両方の視点をもつことは楽しくもあり、厳しくもあった。
学歴も受賞歴も経験もない40歳過ぎの私が、誰かに見出されオーガナイズしてもらうのを待っている場合ではない。
ここで一発勝負をかけるか!銀座へいざ出陣!!!という気持ちだったのだ(笑)
神様に見放されていると思っていた少女時代、大切な人の死...何も言い訳にならない。
過去の出来事に関係なく、この瞬間において、どう生きるかは自分で選べる。
どんなに不安で怖くても、挑戦出来ること自体が、すでに幸運で恵まれているのだ。
時代は変わり、様々なやり方で自分のやりたいことを実現出来ることを私は私自身に証明したかった。
それって先祖からの悲願じゃない?とも言われた。
祖父と父、父の兄は着物の反物に一点一点手描きで絵を施す職人だった。
時代の流れと共に廃業し、職人上がりの父は何度も転職をして、学歴社会の中で苦労も多かっただろう。
私が生まれる前の話だが、それこそ華やかな時代には、日本橋のデパートなどに反物を卸していたようだ。
私が個展の場所に銀座を選び、描く作品はスカーフや手拭いなどにして欲しいと言われるのも妙に納得がいく。
絵を十数年ぶりに描きだした当初は、個展をしようとなどと思っていなかった。
大きな喪失の中、闇から光を探すように心模様を絵や詩、文章にしてFacebookに投稿し始めた。
闇から光を見出す作業はいつしか、喜びも悲しみも光の一側面なのではないか。
どんなことも人生の味わいひとつ、豊かなことだと思うようになっていった。
光~いのちのプリズム~という個展のタイトルにはそんな思いが詰まっている。いのちへの讃歌だ。
欲張りに貪欲に、多くの人に自分の表現を見てもらいたい、好きなことを仕事にしたいと思うようになっていった。
私がお金について真剣に考えていることを不思議がる人もいる。
自分の力には限界がある。人の手を借りなければ出来ないことが沢山ある。
協力し合うことによって、より素晴らしいことが起こる瞬間を体験したい。
その為にもお金は必要だし、自分や関わる人が消耗するようなやり方は絶対にしたくない。
経験も実績もないくせに、志だけは高い。ついで言うと、格好が付かないことはしたくない江戸っ子だ。
個展期間中は運営側の自分が強く出ていたのだろう。
オープニングライブでは、段取りやみんなが喜んでくれるかが気になり、絵をお求め頂いた際にも、ホッとした気持ちの方が大きかった。
すべての願いが叶っても、浮足立たない様に、自分を見失わない様にと妙に気を張っていた。
けっこうな野心家だよと言っても信用してもらえない。本人の自覚なしに、みんなに天然だと言われる私である。
そうとう無理をして頑張ったのだと、緊張がとけて喜びをじわじわと感じられるようになった。
次の予定は何も決まっていない。
幸運にも、昨日からご注文頂いた絵を描いている。次に描きたい絵もある。
今回の個展は、大いなる存在、目には見えない応援が沢山あったことだろう。
私はもう、自分を憐れんだり、粗末にすることはしない。
まっしろな紙を前に、目に見えるもの見えないもの、すべての出来事に感謝する。