肩の力が抜けたのか、蕁麻疹もようやく治まった。
今回の個展、意気込みを感じたとおっしゃる方もいらしたが、きっと気迫に満ちていたのだろう。
セルフプロデュースだったため、純粋にいい絵を描くことと、個展を企画運営する両方の視点をもつことは楽しくもあり、厳しくもあった。
学歴も受賞歴も経験もない40歳過ぎの私が、誰かに見出されオーガナイズしてもらうのを待っている場合ではない。
ここで一発勝負をかけるか!銀座へいざ出陣!!!という気持ちだったのだ(笑)
神様に見放されていると思っていた少女時代、大切な人の死...何も言い訳にならない。
過去の出来事に関係なく、この瞬間において、どう生きるかは自分で選べる。
どんなに不安で怖くても、挑戦出来ること自体が、すでに幸運で恵まれているのだ。
時代は変わり、様々なやり方で自分のやりたいことを実現出来ることを私は私自身に証明したかった。
それって先祖からの悲願じゃない?とも言われた。
祖父と父、父の兄は着物の反物に一点一点手描きで絵を施す職人だった。
時代の流れと共に廃業し、職人上がりの父は何度も転職をして、学歴社会の中で苦労も多かっただろう。
私が生まれる前の話だが、それこそ華やかな時代には、日本橋のデパートなどに反物を卸していたようだ。
私が個展の場所に銀座を選び、描く作品はスカーフや手拭いなどにして欲しいと言われるのも妙に納得がいく。
絵を十数年ぶりに描きだした当初は、個展をしようとなどと思っていなかった。
大きな喪失の中、闇から光を探すように心模様を絵や詩、文章にしてFacebookに投稿し始めた。
闇から光を見出す作業はいつしか、喜びも悲しみも光の一側面なのではないか。
どんなことも人生の味わいひとつ、豊かなことだと思うようになっていった。
光~いのちのプリズム~という個展のタイトルにはそんな思いが詰まっている。いのちへの讃歌だ。
欲張りに貪欲に、多くの人に自分の表現を見てもらいたい、好きなことを仕事にしたいと思うようになっていった。
私がお金について真剣に考えていることを不思議がる人もいる。
自分の力には限界がある。人の手を借りなければ出来ないことが沢山ある。
協力し合うことによって、より素晴らしいことが起こる瞬間を体験したい。
その為にもお金は必要だし、自分や関わる人が消耗するようなやり方は絶対にしたくない。
経験も実績もないくせに、志だけは高い。ついで言うと、格好が付かないことはしたくない江戸っ子だ。
個展期間中は運営側の自分が強く出ていたのだろう。
オープニングライブでは、段取りやみんなが喜んでくれるかが気になり、絵をお求め頂いた際にも、ホッとした気持ちの方が大きかった。
すべての願いが叶っても、浮足立たない様に、自分を見失わない様にと妙に気を張っていた。
けっこうな野心家だよと言っても信用してもらえない。本人の自覚なしに、みんなに天然だと言われる私である。
そうとう無理をして頑張ったのだと、緊張がとけて喜びをじわじわと感じられるようになった。
次の予定は何も決まっていない。
幸運にも、昨日からご注文頂いた絵を描いている。次に描きたい絵もある。
今回の個展は、大いなる存在、目には見えない応援が沢山あったことだろう。
私はもう、自分を憐れんだり、粗末にすることはしない。
まっしろな紙を前に、目に見えるもの見えないもの、すべての出来事に感謝する。