『自分らしく生きることは、危険を伴う』
心の奥深く、何層も深く潜ったところに、そんな想いがあることに気づいた。
今まで、臨床心理士のカウンセリングを受けたり、体験を伴う様々な気づきなどで、心の傷やトラウマを癒してきたつもりだったけれど、頑なに握りしめていた信念に気づいて驚いている。
きっと、頭では解決済みにしたかったのだ。
時折、顔を出し私を困らせていたけれど、見て見ぬふりをしなければ進めなかった程に傷は深かったし、今でなければ手放せなかったのだと思う。
生きづらさの元凶とも言えそうな信念は、定期的に受け始めた、心と身体にアプローチするヒーリングの過程で気がついた。
頭では納得したり、言葉で自分を分かった気になっていても、身体の方は正直で、悲しかったり、苦しかった記憶を蓄積し、もう無理だと悲鳴をあげていたのかも知れない。
この信念は、子供の頃に出来たもので、学校でのいじめと、同じ頃に起きた出来事が原因となっているのは、自分でも分かった。
本来の、のびのびとした性質を何かのきっかけで封じ込めてしまう。
それは誰にでも起こり得ると思ったので、シェアしてみようと思う。
私のことを天真爛漫だと言ってくれる人がいるが、違う方面から見れば、自由奔放な性質なのだと思う。
本来、人はそれぞれに違った魅力があって、それが素晴らしいことだと思うけれど、閉鎖的な空間では、人との違いが、時に攻撃の対象となってしまう。
大勢の人と、だいたい同じような状態でいることが求められる場では、劣って見えることは、もちろんのこと、優れていることも目立つという意味で嫌われてしまうことがある。
そして自由奔放に振る舞う、行動範囲を広げるというのは、いつの時代も女性にとってリスクを伴う。
ここではあえて触れないけれど、実際に私は怖い体験や、嫌な思いをたくさんしてきた。
『目立たなく、小さくしている方が安全だ』とういう思いを抱えてしまっても、致し方ないだろう。
けれど本能では、自分らしく生きたいと願っているわけで、その葛藤が自分を苦しめ、何重にも封じることで生命力まで失っていったのだと思う。
その他にも、劣っていると感じて、直そうとしてきた自分の性質を掘り起こして、受け入れてみようと思っている。
これは良くないと切り捨てて、一部を封じ込めてしまうことは、全体の生命力も小さくなるのではないかと感じている。
見捨ててしまった部分は、人に誇れるような自分ではないかも知れないけれど、それを隠してしまったことで、自分が分からなくなり、生きづらさを増していたのだと思う。
『自分らしく生きることは、危険を伴う』
という信念は、なかなか手強くて、自分で向き合ったりヒーリングをしようとしても、抵抗を感じて喉がキュッとしまってしまう。
今まで自分を苦しめてきたと同時に、私を創り護ってくれた想いだからだろう。
私は心と身体に語りかけてみる。
護ってくれて、ありがとうと思っていること。もう大丈夫なこと。この想いを手放しても、私の本質は何も変わらないということ...
正直に言えば、自分らしく生きることに怖さもある。
けれど、小さな一歩を大切にして、自分を取り戻していこうと思う。
私は今まで、自分に厳しすぎた。
本当は自分にこそ優しく、誰がなんと言おうと味方でなくてはならない対象なのだ。
自分を取り戻す過程で心がけているのが、身体を感じること。
頭であれこれと考え出す度に『身体の声を聴いて』と、おまじないのように語りかける。
他のフレーズも試したけれど、この言葉が私には合っているようで、身体にフォーカスが向いて、呼吸がすっと楽になる。
ヒーリングで呼吸が楽な状態を知ったら、今までいかに肩に力を入れて、呼吸が浅く、身体を縮こませていたかが分かった。
呼吸が楽な身体の状態に戻るように意識している。
誰に誇れなくても、褒められなくても、すべてを受け入れて、ユニークな自分を大切にしよう。
遠回りに思えても、今でなければ向き合えなかった大切な気づき。
自分を偽ったり、欠落を埋めるためにたくさんの無駄と思えることをしてきた。
けれど、自分らしさを取り戻す過程やその先には、無駄と思えたことの一つひとつが、活きてくるような気がしている。
今日の一枚は「Reborn」
人は生きながらにして、何度でも生まれ変われると信じて
作品タイトル Reborn
作品サイズ 約 33 × 24cm
使用画材 パステル
2017.09.06
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メール mami.oceanlily@gmail.com
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mami_oceanlily