愛猫ユキが虹の橋を渡った。
個展を終えた翌日の朝、ゆっくりと看取ってもらえる日を選んだかのように逝った。
大きな声で2回鳴いて、ちゃんと知らせてくれた。それから30分くらいだったかな、私の腕の中で最期を迎えた。
本当に美しくて賢い猫だった。甘えん坊で食べるのが大好き。
この数ヶ月、急に食が細くなり下痢が止まらず、どんどん痩せていった。
病院通いはイヤイヤだったけれど、本当によく頑張ったね。
私は里親で、大人の猫2匹を引き取ることには覚悟がいった。
動物と一緒に暮らすのは初めてだったけれど、彼女たちはとても賢く人懐っこかった。
フワフワな可愛い猫たちに癒され、心がゆるんだ。
おしゃべりの相手をしてくれる。冬のコタツの時期は、私の膝の上を奪い合いバトルもしてくれた(笑)
もっと、してあげられたことがあったかも知れない。でもやっぱり、これが私の精一杯だったな。
私をお母さんにしてくれてありがとう。
お世話をさせてくれてありがとう。
ウチに来てくれて、本当にありがとうね。
個展期間を頑張って乗り切ってくれたので、ゆっくりとお別れの時間を持つことができた。
お世話になったシッターさんがお花を持ってお別れに来てくれて、セレモニーには姉も来てくれた。
犬を飼っていた姉や、経験のある友人に色々と聞いていたので、慌てずに様々な対処をすることができた。
今回こうして愛猫を一人で落ち着いて見送れたことは、魂の成長を感じさせてくれる出来事でもあった。
悲しみよりも、ちゃんと見送れてホッとした気持ちと、感謝や祈りの方が大きい。
私は十数年前に最愛の人を亡くしている。その時は精神的な弱さからボロボロだった。
ようやく本当に乗り越えられたと思えるまでになった。
経験から伝えたいことがあるのだけれど、最期の瞬間に立ち会えたかを気に病む必要はないと思っている。
もちろん、相手に誠心誠意向き合うことは大切だ。
最愛の人、父親、愛猫の死を経て思うのは、皆それぞれのタイミングで必要な経験をさせられているのだということ。
それぞれの魂の器に応じた経験。
一人で静かに逝きたい場合もあるだろう。
看取ることが互いに必要な経験かも知れない。
苦しむ姿に耐えられないから、見せずに逝く優しさもあると感じる。
愛と祈りで心を満たして、その状況が自分たちにとって最良なのだと、出来るだけ後悔しない方がいい。
最期の瞬間で、互いの長い関係性を測れるはずがない。
日常の中の愛おしい時間を胸に、優しい気持ちでいたいと思う。
最期の瞬間がどうであったかを気に病んでいる人も多いと感じるので、私が思っていることを書き留めておく。
愛猫の死をきっかけに、この十年ちょっとを振り返り、ものすごいスピードで駆け抜けて、遠いところまで来たなと思った。
当時とは全く違う感覚に、大袈裟に言えば、生まれ変わったくらいの感慨がある。
頑張ってきた自分を労う気持ちと、でも流石に疲れたと思わずつぶやいた。
この数日、腰が痛くて動けず、いくつかの予定をキャンセルさせてもらった。
少しゆっくりしよう。
こんなことを赤裸々に語り、私はいつも自分の気持ちばっかりで自分本位だと思う。
でも、それで良いのだと思う。人の気持ちも猫の気持ちも、本当の意味で相手の気持ちは知り得ない。
精一杯やったことが、良かった悪かったかなんて、私の小さな頭で判断出来ることでもない。
だからこそ、あらゆることを受け入れて、生きる力に変えて自分の生をまっとうする他ないのだ。
先に逝ったものたちが、痛みも苦しみもない世界で、穏やかで美しい光であるように祈る。
私はこれからも、たくましく生きていくよ。
ユキちゃん、最愛の人たちよ、どうか目に見えぬ力となって、私とクウちゃんを見守ってね。
たくさんの愛をありがとう。
また、どこかでね。その時までバイバイ!!!
田村麻美 Mami Tamura
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